親鸞聖人について

生い立ち

親鸞聖人は、今から約800年以上も前に誕生され、平安時代から鎌倉時代にかけて、90年のご生涯をおくられた方です。

時は平安時代、承安(じょうあん)3年、1173年に京都の日野で誕生されました。
 
幼名を松若丸と言い、貴族である日野家の生まれでした。4歳で父を亡くし、8歳で母を亡くし、9歳で出家されます。

幼くして両親を失った親鸞聖人は、比叡山に入り以後20年間厳しい修行を積まれました。

厳しい修行を積まれても、悩み、苦しみを脱却することができない、悟ることのできない、わが身を深く顧みて、この自分を救えるのは、自分自身ではなく、阿弥陀さま、仏さまが救ってくださるのだと、気付かされるのです。

夢にでてこられた聖徳太子さまのお導きで、京都の吉水にいらした法然上人の門を叩かれるのです。

だれでも救う、一人残らず救うという、「浄土の教え」に従うことになります。
 

煩悩とは

仏教では、煩悩とは「人の心と体を苦しませ、煩わせ、悩ませる心の働き」とされています。

原語はサンスクリット語の「クレーシャ」で「苦しめる、汚す」に由来します。

貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)は煩悩の根元的な三毒とされます。

この三毒の中でも特に愚痴がもっとも根本的なものとされます。

「貪欲」(とんよく)は貪り(むさぼり)です。

飽くなき欲望、必要以上に求める心、「瞋恚」(しんに)とは激しい怒り、「愚痴」(ぐち)とは真理を知らず愚かであることを指します。

これら三つの心が人間を蝕む(むしばむ)毒とされています。

これら三毒を根として、悩が生まれてくると言われて、俗に108の煩悩といわれますよ。

こうした欲をどうしても捨てきることのできない、私たちは、自力、自分の力では救われないのです。
 

他力本願

なかなか悟りを得られない中、親鸞聖人は29歳の時に比叡山を下ります。

聖徳太子建立と言われる寺にて100日間の瞑想に入り、その95日目に、夢のお告げを得たのです。

お告げお告げの通り法然を訪ね、門弟となり、法然の教えを受ける中で「他力本願」の概念に行きつきます。

他力とは、人任せにすることではありません。

幸福は良い行いが生み出し、不幸は悪い行いが生み出します。

人の身に起きることは自身が作り出しています。

親鸞聖人のいう他力とは阿弥陀如来のひとり残らず救わずにおくものか!という、救いようのないこの私は、阿弥陀さまのお力(本願力)によってのみ救われるのだと、説きます。

「死んだらどうなるのか」という人の不安・悩みは、阿弥陀如来の本願力によってのみ解決できるのです。

親鸞聖人はその後、90歳で亡くなるまで、人々のために幸せになれる道を説き続けました。