水子供養について

水子供養の背景

水子供養の始まり

水子供養の歴史は古く、その始まり江戸時代の初期に遡ります。

江戸時代の暮らしは現在のような高度な医療、食料供給、社会福祉といった仕組みの無い世の中だったため、未発達な医療状況下であったことや、不作や飢饉といった不安定な社会状況などが流産、死産、赤子の死を招いていました。

それまでの日本では、7才未満の子どもは神であるという考え方が一般的だったため、水子を浄土に導くための葬儀などは執り行わずに、流産、死産、赤子、幼子が亡くなってしまった場合、亡骸を川(水)に流してしまうだけのものでした。

この水(川)に子を流したり、親が見ることが叶わなかったりしたことから、“水子”や“見ず子”というのが、現在の水子の語源でもあると言われています。

葬儀等、供養を行わないのは、水子として亡くなった場合、人生が短いため、煩悩とは無縁という考え方が当時は浸透しており、その霊は浄土に向かわず、また生まれ変わると信じられていたからです。

しかし、実際に子を宿し、産み、そしてわずかな期間ながらも我が子を育てた母親にとって、自然の理や運命、そしてまたいつの日か生まれ変わる、といった考え方は、余計に悲しみや苦悩を増長させているだけに過ぎませんでした。

水子として我が子を亡くした親の苦悩を少しでも和らげたいと感じた江戸時代の浄土宗の僧侶である祐天が、水子に法名を授け、供養したことが「水子供養」の始まりと言われています。

元々の水子供養は、水子として我が子を亡くしてしまった親の苦悩や悲しみを和らげるための始まった供養なのです。
 

水子供養の普及

江戸時代に始まったと言われている水子供養は、1970年頃までは一部の尼寺などでのみ、執り行っていた供養でした。

時代は江戸から明治、大正、終戦を迎えた昭和へと移り変わるとともに、妊娠や出産に至る経緯も様変わりし、自然流産とは異なる人口的な流産である人口中絶を希望される方が急増しました。

人口中絶は避妊が普及したため、1955年をピークに減少し始めましたが、当時の20代、30代の女性の人口中絶の経験者の割合は30パーセントを超えており、親自らの決断で生命を絶つ水子が急激に増えてしまったのです。

このような経緯を経験した母親、夫婦は、自然流産や社会情勢が原因で招いた水子とは違い、我が子に対し、申し訳ないという気持ちや罪悪感などを強く抱いてしまいます。

次第に、「我が子に何かできることをしてあげたい」という想いを強く抱く若い女性、男女、夫婦の方たちが増え始め、現在のような水子供養が日本各地で広まり始めたのです。
 

水子供養の実情

水子供養をする人としない人

自ら子を授かることを望んだ親御さん、健全な付き合いをさせている男女間で、胎児、赤ちゃんが水子として亡くしてしまった場合と、まだ生活力を備えていない若い男女、あるいは望まない妊娠を余儀なくされた女性などとでは、水子供養に対する考え方が大きく異なります。

傾向的に前者の場合、水子として亡くられた我が子と共に今後の人生を歩むことが前提なので、しっかりした水子供養を行います。

一方、後者の場合、妊娠、人口中絶自体を軽く考えたり、またその逆に強すぎる罪悪感に悩まされたり、望まない妊娠に至っては、胎児のみならず、自身の精神的ショックも大きく、何もできない方もいらっしゃいます。

こういった方の多くは人口中絶を他人に知られることをまず望まないため、水子供養という選択肢の存在すら知りえず、供養することなく自身のお腹に宿した生命と決別しているのが実情です。

これは、妊娠が発覚してから人口中絶を決断するまでの期間があまりないことや、併せて遺体の処置もしなければならないことも理由として挙げられます。

しかし、多くの親御さん、特に母親は、時間が経つにつれ、自身の手で人口中絶を決断してしまったことに対する罪悪感や、我が子に対する想いが込み上げてくるものなのです。

水子供養の選択肢

水子供養の形式は様々で、高額な費用を負担して我が子のためにお墓を建てられる方もいらっしゃいますし、お寺に遺骨を預かってもらう永代供養を選択される方もいらっしゃいます。

他の水子たちとともに、一緒にお墓に入り、寂しい思いをせずに安らかに眠る合祀墓を選択される方もいらっしゃいます。

また神棚や仏壇を自宅に置き、毎日それらの前で手を合わせて冥福を祈ることも水子供養に当てはまります。

水子供養は、比較的、費用をかけずとも、亡きお子さんのためにできる形式や仕来りにとらわれない供養です。

供養の選択肢にもよりますが、高額な費用の負担を懸念することなく、どなたでも行うことが出来ように配慮されているのが水子供養の特徴です。
 

水子供養は祟り(たたり)を恐れてすることではありません

水子として亡くなると、水子霊として世をさまよい、生まれてくることができなかったことや、人として長く生きることが出来なかったことを恨み、その恨みの矛先が親に向けられると考えてしまう方が中にはいらっしゃいます。

結論から申し上げると、仏教では霊がたたりを招く存在であることを否定しており、水子供養をしなかったからといって、親御さんが祟りに遭うことや、祟りを恐れることを心配する必要性は全くありません。

胎児、世に生まれて間もない赤ちゃんは、煩悩を知らずして亡くなり、その霊とも言われている水子霊は、純真で綺麗な魂なので、現世に生きる人たちに害をもたらさない霊と言われています。

このような迷信、いつわりの情報の発信元は、水子供養をビジネスと位置付けている宗教法人の運営者が意図した広告行為に過ぎないのが実情です。

水子供養をする、しないは親御さんが決断することです。

水子として亡くなってしまった事情に囚われることなく、純粋に親として、亡くなってしまった我が子に対してできる自分なりにできる供養をしさえすれば良いのです。
 

水子供養はいつでも始められます

流産、人口中絶などを経験された方で、罪悪感や精神的ショックが強く、水子として亡くなられた我が子に向き合えないことも珍しくはありません。

こういった方の大半は、水子供養を行いません。

しかし、その後、何年かののち、水子として我が子を亡くしてしまったことが気になり、水子供養を行わなかったことを後悔したりする方も大勢いらっしゃいます。

水子供養は、亡くなれた時期に始めなければならない供養ではありません。

水子供養はいつでも始めることができる供養で、何年も前、中には15年以上前に人口中絶された方が望まれる場合もあります。

水子として亡くなった場合、悲しみが深いだけでなく、申し訳ないという気持ちや、罪悪感など、様々な気持ちが入り混じってしまい、亡くなれた直後の親御さんは無気力な状態に陥りがちです。

水子供養とは、そういった方も心中も察し、いつでも始めることができる供養なのです。
 

水子供養はお子さんと自分のための供養です

水子として亡くられる場合の経緯は様々です。

水子としてお子さんを亡くしてしまった方に陥りがちなのが、その経緯に至る原因を強く意識し過ぎてしまうことです。

これでは、水子供養を誰のためにするのか?ということを見失ってしまします。

自身のお腹に宿した命を失ったことや、幼くして我が子失ってしまったことは、事実である以上、消すことはできませんし、簡単に忘れることも出来ません。

逆に水子として我が子を亡くしてしまったことを現実として受け止め、自身の人生を前に歩み始めることこそがとても大切なのです。

また供養とは亡くなられた方にのみ、向けられる行為ではありません。

我が子に対し申し訳ないという気持ちを水子供養で伝えることは、水子として亡くなられた我が子だけでなく、自分自身を癒すための供養と捉えても何の問題はありませんし、うしろめたさを感じる必要もありません。

自身を癒すことを目的に、当院に足を運び、水子供養をされる方も大勢いらっしゃいます。