三途の川(さんずのかわ)
賽(さい)の河原は、冥途(めいど)にいたる途中にあると信じられ、あの世の入り口とされている三途の川。
その三途の川のほとりに位置する場所するとされています。
亡くなってから7日目に渡るという三途の川には、流れの異なる3つの瀬があるとされています。
①善人は橋を渡り、
②罪の軽い者は浅瀬を渡り、
③罪の重いものは深く流れの深い難所を渡る
といわれています。
子どもは渡れない三途の川
子供は、三途の川を渡ってあの世に行くことが許されていません。
親よりも早く亡くなるという罪を償うために、賽の河原で石積みの刑を受けるのです。
両親、兄弟などを思い浮かべながら石を積み重ねますが、せっかく積んだ石を鬼が壊していくのです。
そして、また一から積み上げていかなくてはならないという、報われない努力をさせられる場所とされています。
救世主は地蔵菩薩さま
この苦行を続けているといつしか地蔵菩薩が現れて、子供たちを救ってくださるのです。
親よりも早く亡くなること、そして親がいつまでもその死を嘆くことが、子供の罪とされるのです。
あんまりですよね。
本人には何にも責任がないのに、どうして、責められるのか?まったく納得のいかない話です。
待っていられません!!
ごもっとも話です。
罪けがれのない子どもたちは、とにかく最初に、一番に極楽浄土に連れて行って欲しいです。
阿弥陀さまにお願いして、極楽浄土に連れて行っていただきましよう。
私たちのできること
早く亡くなった子どもたちの死を嘆くより、子どもが安らかでいられるように祈ることが大事だと思います。
三途の川で、石積なんかしないですむように、お地蔵さまに早く救って欲しい、三途の川なんかに行かないで、そのまま、極楽浄土に連れて行っていただくよう、阿弥陀さまにお願いすることです。
水子供養とは
心を込めて、我が子のために祈ることです。
そして、この娑婆世界で生きる私たちが、現世に生きる者が幸せでいることが、大切なのではないかと思います。
仏教では
亡くなった後に地獄に落ちて苦しむ者を、お地蔵さんが救済すると信じられていました。
浄土教では、庶民は苦しい生活の中で『せめて亡くなったあとは極楽浄土へ行きたい』と思うようになりました。
極楽浄土とは、阿弥陀さまが作られた、楽を極めた世界、天国です。
その思いを仏さまに向かって手を合わせ、お祈りしました。